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あべののログ

私自身の、ログです。意見いただけると嬉しいです。Twitterしてます→https://twitter.com/abenono123

さっきの続きの話

派生…(前の記事にのせた、新聞の投書?の共感部分)


親に言われなきゃわからないの?と言われて、

「そりゃあ、言われなきゃわからないよ。言わなくてもわかる、っていうのはあなた自身が何を言いたいのかわかって話してる(自分の基準を押し付ける)からでしょう?」(怒)

と、思ったとしても
それを相手に伝えてしまったら、雰囲気が悪くなってしまう気がして、言い出せない
(或いはそこまでして自分の主張伝えなくていいやと思う)。

自分の主張を、めんどくさいとか、怖いとか、しょうがないんだと思って伝えることを妥協している。

しかし、そうすることではなにも変わりませんね。

だから、そのときの感情のみを感じて、あれはいやだな、と思い続けること。誰かに言われて何が嫌なのかをわかること。はなんだか、嫌だな、と思いました。

日常の全てをはっきりと自覚して対処するのは難儀な話ではありますし、つまらない気もしますが

どんなに怖くても、言いづらい相手でも、言い分があるなら、きちんといっておいた方がいい。言われなきゃわからない!と。

この話に限らず、何かを思って言わないでいて後悔するよりは、言って後悔した方がいい。…誰だって、他人に何か言われたら少しくらいは意識します。

その事とは反対に、嬉しいことがあれば、すごいと思うことがあれば、それも伝えたほうが良い。

結局私も、
周りから言われなきゃわからないから
思うことは言ってあげよう!と思ったことがありました。という話でした。

やはりあの新聞の記事(前のログ参照)
をみて、私もこの記事をかこうと思いましたね。
当たり前なこととか、普段よく思うことを、
気がついて言葉で表すということは、すごいですね。

日常の中で 思うことがあっても そのことは 出来事として認識しているだけである。

具体的に…


Twitterで一時期話題になった、新聞の投書(?)

言われなきゃそんなこともわからないのか!
と怒るけど

やっぱり  言われなきゃわからないよ

そんなこともわからないの?
言われなきゃ

http://twitter.com/Petoyama/status/642916121121681408/photo/1 


私自身、この記事には、すごく  共感といいますか、感銘を受けました。

共感したのは私だけではないようで

リツイート数(誰かのツイートを引用して、こんなツイートしてる人がいたよ!と他の人に紹介するようなものです)が、10000も越えています。

共感する、ということは自分の日常に覚えがあるということであるのだとおもいます。

このような経験がある人は多いようですね。

また、ツイートをみる前から言葉で認識していたとしたら、リツイートはしないでしょう。

これは自分の日常に、そう思う経験はあるけれど(=共感する)、その投書をツイートで見るまで、日常の一部として捉えている。言うひとがいてやっと、ことの内容に気がついた(リツイートをする)ということでしょう。

もっとに簡単に言えば

日常の中で 思うことがあっても そのことは 出来事として認識しているだけである。


日本人らしさ、なのでしょうか

主観

大変お久しぶりです。

高校生活がスタートし、バタバタしております。考え付くことはたくさんあるのですが、Webにログとしてまとめられていません。

さて
このログも、自分のログと主張しつつ、
みてもらう方を意識するようになりながら書いています。
これがいいことなのか悪いことなのかはわかりませんが、みてくださるかたがいるかぎり、みてくださるかたを意識していきます。

マイペースにあげていきますが、
週に一回、考えを書き綴れればいいな
と思っております。



今日は以上ではありますが、最後にメモを

客観は誰かの主観ではないか


↑これについていつかまとめようと思います、

伝えることは自己満足ではいけない

中学3年間では、中学に入ったということや代表業をしていたということもあり、

文章を書くことが多く、大勢の前で話すことも多くありました。中2から特に増えました。

 

文章を書き続けていると、文章力がつきますね。経験が多いほど余裕もできて面白くなるものです。話すことも一緒です。

厳密にいえば、文章を書き、誰かに推敲?してもらうことで文章力が付きますが

 

もともと、私は作文が好きでした。

小学校のころは、思ったことを書けばいいんでしょ、とおもっていて、

ほかの人は作文いやだいやだいうけれど自分はそう思わない…良いのかもしれない。

と文を書くことに得意意識を持ちました。

 

意識とは不思議なもので、他より一歩前に出た気がして…!!意識が自分の力を引き出してくるようで…!!先生に褒められたこともありました。

 

文章を書くことで、いいことも見つけられます[あとでまとめます]

 

 

さて、最初にも書いたように、私は、中2から文章を書くことがどっと増えました。

難しい言葉が好きでつかっていました。いや…好きというよりは、そういう言葉のほうが、様々な意味があって、自分の伝えたいことの多くを表せるから使っていました。

スムーズを円滑と言ったり生徒中心を主体と言ったり。

沢山意味がある言葉は混乱させることもあるかもしれませんが、当時は、自分の言いたいことあれもこれも表せる!!としか考えておりませんでした…。

 

そして、初めて、大勢の人の前で話してみたとき、目の前にあったのは (・・?という表情でした。

先生からも友達からも、文章が固いねー。とも、言われました。難しかった!とも。

人前で発表するときは、まじめに、言葉を選び抜いて言わなければならない、と思っていたこともあり、そういわれたときは、正直、困惑しました。

 

周りから、指摘を受けて、さすがにそのままにしておこうとは思わなかったので

どういうことか、考えました

 

そして、周りの人が、固いだのむずかしいだのいうのは、分かりづらくて、伝わっていないんだな。と理解しました。

 

何かを言うときは、当然、相手に伝えるためにいうわけなので、

伝える、という目的が果たせていなければ、無意味。

それどころか、誰も聞かなくなってしまうんだな、と反省しました。

それ以降は言葉を改め、聞く人が疎遠になってしまわないように、ときをつけました…!

 

自己満足で終わらせていいことが数多くあるけど

伝えることは自己満足ではいけないのだな、と生きる道を広げた話でした。

 

 

9歳のときにドラマをみていて今でも活きるスキルを見つけた話

嫉妬とか勘違いとかから起こる殺人

 

刑事ドラマでこういうことよくありますよね。

このほかにもドラマなら、相手のことをよくわかってなくてけんか…とか

ありますね。

 

小さいころ、他人を見て自分だったらどうするか、考えなさい

とたくさん言われていていまして…それがあってか、ドラマを見てても、普段誰かと会話していても、自分だったらどうするかというのを少し考えます。

当時は耳にたこができるほど言われ、うるさいなぁ…と思っていましたが

今となればいい習慣だったかもと思っています。

 

自分なら…と考えるうちに思考が派生して、なんでドラマではいつもこう、殺人とか、喧嘩とかおきるのだろう…と考えていました。

(現実に友達はいましたがあまり喧嘩することもなかったので…それから、ドラマの中の喧嘩はもっと大人になってから経験するのかな…と思っていたので)

 

ドラマはストーリーがあるので、共通してることを見つけ、

或いは、全く反対のことですが、何が起こってるのか物語要素を取り除いて

考えました。

 

ドラマですから、どちらの立場もわかるわけで

どちらの立場もわかってればいいんだ!って思ってみたり

片方の立場しかわからなくて一方的な思い込みから起きた惨劇には

思い込んでるのがだめなんだなー!って思ってみたり

勘違いし続けて感情的になった時にはもう、ダメなんだなー!て思ってみたり…

 

その時は[もう少し思いやれればいいのに]というようにしかとらえられませんでした。その考えを文章にしなさい、と言われたら、上のような具体例くらいしか挙げられなかったと思います。しかし、成長した今では、これらを抽象的に様々なことに当てはまるように表現することができます。

…客観と主観です。この言葉は、中学校の授業で先生に教えていただきました。

客観的では、(周りから見たら、冷静に見たら)感情的にならないのかもしれない

しかし主観的では、(人の心理的性質に頼っていたら

 

これは、普段の生活の中でも当てはまることがたくさんあると思います…。

戦争とか。(戦争は領地や食糧を求めること以外に、お互いが自分自身を正しいと思っていることから起きるのだと思います。そのほかにも戦争相手国の犠牲になる方一人一人の人生を知っていれば<客観>簡単に殺すことはできないのが人間の心理ではないかと…。)

それこそ、喧嘩や殺人も。トラブルも回避できるかもしれませんね。

 

9歳のときにそれを知り、少し大人になって理解できたことで、

ただただ、よかったかなと思います。トラブルも少ないですし仲介もできます…

 

生涯大切にしていきたいものです。

すごいがすごいのはすごいおかげ

すごいすごい言いすぎました。

 

省略せずに端的に言えば、

すごい人がすごいと思われるのは周りのすごい人のおかげ

ということです。

これでもわかりづらいかもしれません。なぜなら、↑この上の文中のすごいは前半と後半で意味が違うからです。

 

 

すごいといわれる人…。天才、努力家、異端児、憧れられる人…沢山いますね。

野球選手、フィギアスケーター、ジャーナリスト、お笑い芸人さん、職人さんエトセトラ。

上のようにTVにでていない…有名ではなくても、普段の会話の中でかっこいいことを言った人がいれば、わぁぁ!!ってなります(個人的に)。

 

かっこいいことばは時に、周りの人によって、名言として認識されることもありますね。

自分の中では当たり前のことをしているつもりでも、偶然、周りの人に評価されることによって、偶然、注目されるかもしれません。

 

このように すごい人と認識された理由は、周りの人が、その人のすごさに気づくすごさを持っているから。そして、すごいすごいと評価される人は、自分をすごい、と認識してくれて応援してくれる周りの人に感謝しなくてはいけないのですね。

 

最後まですごいがおおくてごめんなさい。

 

がんばってても、成果が出ても、見てくれる人がいなければそれ以上

光らない。誰かが言った名言はほかの人が名言と認知して周りに発信するから名言になる。ってことですね

 

自分は今まで、近くで見てくれてた人や、評価してくださる先生や先輩がいたので

学校クラス部活の代表や様々な経験をすることができました。感謝でした。

高校3年間、どんな3年間にしていくかな。

報道が長引くことは…

ふと思ったことです。
メモ程度に…。

私たちは、九官鳥が意味もわからず言葉を覚えさせられるように、
テレビで見ることは、正しいと思ってしまいます。


なんだか、ニュースで使われる言葉は難しいし、すごそうな大学の教授といわれる人がスーツをきて座って話しているから
話にきちんとついていくことができず
全部が本当なのかと思ってしまいます。

(高校生になり、こういうほどではありませんが幼い頃はニュースを上のように思っていました。)


報道は、影響力があって、
長く知らされる分、多くの人に事件を知らされる。
もちろん、いま世界で何が起こっているのかを知るために、知らされることは、大切だと思っています。
けれど、容疑者のいままでの人生は知る必要があるのか、といわれれば、私は、そうではないと思います。
今や、ニュースにでれば、ネットにもでまわり、ネットにのれば、一生消えない。そんな社会だ、と言われるのに、
知らせる権利はあるけれど、今までの生き方まで報道してはプライバシーの侵害のようではないかと…。

報道の内容の深さによっては
刑務を終えて刑務所をでてきたときに
普通の生活ができなくなってしまうのでは
ないかな、と思っています。
大げさかもしれません。

報道が長引けば長引くほど、
犯罪を起こしてしまった方々の首は絞まっていくきがします。
報道は正しいのかもしれないけれど
どこまでが私たちの情報の需要なのでしょう。


と。メモでした。


4月1日だけど時間が遅くて、おまけにメモのような更新で…約束を守ろうと思います。